こんにちは、きこです🌷
精神科で看護師をしながら、医療職の働き方について書いています。
「いくら頑張っても、評価が”普通”のままで報われない、、、」
「『完璧にできて3』って結局どういう意味なんだろう」
「評価制度の中で、自分の働き方を見失いそうになる」
📌 この記事は、こんな方へ
・評価制度のある職場で、頑張りが返ってこないと感じている方
・「完璧にやって普通」の文化に違和感を覚えている方
・自分の働き方の軸を、評価とは別に持っておきたい方
人事考課の季節になると、職場の空気がふっと重くなります。
私もその季節が来るたびに、少しだけ気持ちが引き締まります。本来は、頑張っている人が認められる機会のはずです。でも現実には、なかなかそう単純にはいかないものですよね。
「完璧にできて3です」
ある年、新しい評価責任者から考課の説明がありました。その方はこう言いました。
「完璧に仕事ができて3です。4や5を自分でつけてくる人がいるけれど、信じられない。私自身も3以上をつけたことはありません」
私はそれを聞いて、ふと思いました。では、4と5は何のためにあるのだろう、と。
評価表には1から5まで欄があります。でも実質的に機能しているのは1から3だけ。しかも3を下回るとボーナスに影響するとなれば、評価する側も「下げたくない」という気持ちが先に立つのは自然なことです。
攻めた目標は誰も立てない
目標設定をしましょう、と言われても、誰も挑戦的な目標を立てません。達成できなければ評価が下がる。ボーナスも下がる。だから「挨拶をきちんとします」のような、確実にクリアできる目標が並んでいきます。
すると今度は「最近の人はいい加減な目標しか立てない」と言われる。
でも、そうさせているのは構造そのものではないか、と私は感じていました。頑張ろうとする気持ちが、仕組みによって少しずつ削られていく感覚です。
「ちゃんと見ているよ」という言葉の重さ
数年前、私が業務を掛け持ちしながら資格取得のために学校にも通っていた時期がありました。
当時の評価者は、私が控えめにつけた自己評価を見て「いや、あなたはもっとやっているよ」と言って点数を上げてくれました。4にしているところを5にしてくれたこともありました。
その一言の中に、「ちゃんと見ているよ」というメッセージが込められていると感じました。数字よりも、そのメッセージの方がずっと力になりました。
仕組みと哲学は、セットでなければ機能しない
うまく機能している評価制度を持つ組織は、世の中にたくさんあります。ただ、その仕組みだけをコピーしても、うまくいくとは限りません。
医療の現場では、成果が数字として見えにくい仕事がたくさんあります。評価する人が「人を見る力」を持っていることが、特に問われます。仕組みだけが導入されて、その下にある哲学が抜け落ちると、頑張っている人ほど虚しくなってしまいます。
実際に、評価のあり方を機に辞めていく人が、ここ数年で増えていると感じています。
評価と、自分の頑張りを切り離す
私自身は、手を抜くことが性格的にできないタイプです。明日もおそらく、一生懸命やってしまうでしょう。それは変えられないし、変えるつもりもありません。
ただ最近、少しずつ練習していることがあります。
「評価」と「自分の頑張り」を、切り離して考えること。
数字でつけられた評価は、ある人から見た自分の一側面でしかありません。自分の仕事の価値そのものではない。そう思えるようになってから、少しだけ呼吸が楽になりました。
もし同じように評価制度に疲れている方がいたら、「一緒ですよ」とそっと伝えたくて、この記事を書きました。
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📍 あなたの次のステップ
【免責事項】本記事は筆者の個人的な体験に基づく記録です。特定の診断・治療・法的助言を行うものではありません。心身の不調が続く場合は医療機関、職場の問題は労働相談窓口など専門機関にご相談ください。
※この記事の原型はnoteに掲載しています。
🌱 さいごに
辞めたい人だけが、備えるわけじゃありません。
いまの職場をできるだけ長く続けたい人ほど、「いつ何が起きてもいい次の手」を、そっと準備しておくこと——。
それが、いちばん心が楽になる道だと、私は思っています。
この記事が、あなたの「いつか」のとなりに、ほんの小さな「次の手」を置くきっかけになれたら嬉しいです🌷

