朝、起き上がれなかった。
ベッドから立とうとした瞬間、腰に電流が走るような痛みが広がって、私はそのまま床に崩れ落ちました。「あ、これはまずい」と思ったとき、すでに自力では動けなくなっていました。
「ようやく自分の場所を作れた」と思っていた
OT(作業療法士)として18年、病院やリハビリ施設で働いてきました。仕事は嫌いではありませんでした。でも、組織の中で動くことの息苦しさはずっとありました。目の前の患者さんとじっくり向き合いたいのに、記録や会議や多職種連携で時間が削られていく。そのもどかしさが積み重なって、いつからか「独立」という言葉が頭の中に棲みつくようになっていました。
数年かけて少しずつ準備を重ねて、ようやく整体をメインに据えてOTはパートに切り替えました。自分のペースで、一対一で、「ありがとう」が直接返ってくる。それが私の理想でした。独立した直後、私は本当に満たされていました。「ようやく自分の場所を作れた」と、そう思っていたのです。
突然、動けなくなった
ヘルニアの兆候は、振り返ればずっと前からありました。重い施術台の移動、長時間の前傾み姿勢、無理な体勢での介助。「整体師なんだから体のことはわかっている」という過信が、サインを見逃させていたのだと思います。
倒れたのは、独立から1年半ほど経った頃です。前日から腰の鈍い痛みはあったのですが、予約をキャンセルするという選択肢が頭にありませんでした。フリーランスにとって、予約を断ることは収入を断ることです。無理をして施術を続けて、翌朝、起き上がれなくなっていました。
「あとどれくらい持つか」を計算しながら横になっていた
診断は腰椎椎間板ヘルニア。安静と言われて、2ヶ月近く仕事ができませんでした。
横になりながら、私は何度も計算していました。貯金はあとどれくらいあるか。固定費はいくらかかっているか。家族の生活費は。最低でも何ヶ月もつか。数字が出るたびに、焦りが深くなっていきました。
会社員であれば、傷病手当金があります。4日以上仕事を休んだ場合、標準報酬日額の3分の2を最長1年半受け取れる制度です。でも、フリーランスには傷病手当金がありません。働けなければ、収入はゼロです。
私がそれを知ったのは、倒れてからでした。順番が逆でした。
家族を守れたのは、偶然に近かった
結果的に、なんとか乗り越えることができました。OTのパート収入が細々と続いていたこと、妻が仕事を持っていたこと、貯金がギリギリ底をつかなかったこと。いくつかの偶然が重なっていました。
もし貯金がもう少し少なかったら。もしOTのパートもやめていたら。もしヘルニアがもう1ヶ月長引いていたら。そう考えると、今でも背筋が冷たくなります。
独立を諦めたのではありません。今はまた整体の仕事を続けています。でも、あのとき足りなかったものはわかっています。生活費6ヶ月分の自己保険。所得補償保険への加入。そして、「動けなくなる日が来る」という前提で準備を組むこと。
今なら、違う準備ができます。
▶ あわせて読みたい:フリーランス・副業で独立する前に知るべきリスク管理|医療職の転職完全ガイド
【免責事項】本記事は筆者の個人的な体験に基づく記録です。特定の診断・治療・法的助言を行うものではありません。心身の不調が続く場合は医療機関、職場の問題は労働相談窓口など専門機関にご相談ください。

