先週、仕事が6日続いていました。
仕事から帰ると深夜11時を過ぎていることが多くて、でもそれでもまだ副業のことを考えていました。「あの記事、もう少し手を入れたい」「あのスライド、直したい」。頭の中が、仕事から離れない。
それでも、日曜日は来ます。
私は昼まで寝ているわけではありません。むしろ早く目が覚めてしまう。朝の5時や6時に自然と起きて、静かなうちに何かしたい、という気持ちがあります。
あの時間が、私には大切でした。
次の日のことを考えなくていい時間。仕事のことも、週明けの予定も、一旦全部置いておいて、ただ今この瞬間だけで動ける。そういう感覚が、あの朝の時間にだけありました。
足並みを揃えようとすると、疲れた
妻は、休日に一緒に出かけたいと思っていました。
それは当然のことだと思います。妻も仕事をしていて、疲れていて、日曜日の朝はゆっくり起きたい。起きてからもしばらくスマートフォンを見たりしている。それは悪いことじゃない。疲れているから当たり前のことです。
でも、妻が起きてきて「今日どこか行こう」と言うと、私の中で何かが変わりました。
先の予定を考えはじめる。どこへ行くか、何時に出るか、帰りは何時になるか。それだけで、疲労感が増していくんです。
「一緒に出たいと思っているのに起きてこない」とも感じていました。でも、それも妻のせいじゃない。私が勝手に焦っていただけです。
妻に合わせようとするほど、疲れていきました。自分のペースで動けなくなる感覚。朝の「先のことを考えずに動ける時間」が崩れていく感覚。
それが辛かった。でも、それを言えなかった。
自分のせいだと思っていた
妻が一緒に出かけたいと思うのは、ごく普通のことです。それに応えられない自分がおかしいんだと、ずっと思っていました。
「何のために生きているんだろう」と思ったのは、そういう日曜日の夜でした。
休んだはずなのに、疲れが取れていない。妻と一緒の時間を過ごせたはずなのに、どこかすれ違っている。自分の中の何かが少しずつ、削られていくような感覚がありました。
内科の先生に「ストレスはないですか」と聞かれたとき、「特にないです」と答えていました。本当に、わからなかったんです。
気づいたこと
今になって思うのは、あのときの疲れは「休めていない」のではなく、「どう動いても正解がない」という状態だったんじゃないか、ということです。
休もうとしたら罪悪感が来る。妻のペースに合わせようとしたら疲弊する。でもそれを伝える言葉も、自覚もなかった。
「おかしい」と気づいたとき、それが変わり始めるときです。
あのころの自分に、今の言葉で伝えられるなら、こう言いたいです。
それは、あなたのせいじゃない。
]]>
