こんにちは、ナギです🐢
作業療法士として18年、いまは訪問のリハビリと、自費リハビリの副業をしながら、医療職の働き方について書いています。
「気づいたら、趣味から離れていた、、、」
「休んでいいはずなのに、休むのが下手だ、、、」
「このペース、いつまで続けられるんだろう、、、」
📌 この記事は、こんな方へ
・いつのまにか「好きなこと」から遠ざかっている方
・「自由にしていい時間」が、なぜか苦手な方
・能力を活かすより、心地よさを優先したくなってきた方
📋 この記事でわかること
・なぜ職場に合わせるほど「好き」を自分から消してしまうのか
・「自由にしていい場面」が苦手な人の、ほんとうのニーズ
・40代で「理にかなう」より「心地よい」を選び直すという発想
押し入れの奥に、ラジコンの箱が入ったままになっています。
久しぶりに取り出してみたとき、タイヤのゴムがひび割れていました。そのひび割れを見て、何年分の時間が経ったのかを実感しました。
この記事は、ぼくが好きなことを「自分から」手放していった時期と、もう一度それを握り直すまでの話です。
走ることが、唯一の出口だった
ラジコンのドリフトを始めたのは、30代に入ってからです。友人に誘われてコースに行き、一度走ったら虜になりました。コントローラーを握っている時間だけは、仕事のことが頭から消えました。
週末に友人と走りに行く時間が、ぼくにとって仕事の疲れをリセットする唯一の場所でした。あの頃は、本当に楽しかったのだと思います。いまならそれがわかります。
「断れない」空気が、少しずつ積み重なっていった
職場の文化が変わり始めたのも、その頃でした。勉強会が増えました。休日の研修も増えました。表向きは任意でしたが、「参加しない人間」というレッテルを貼られる雰囲気が、確実にありました。
最初は断っていました。でも断るたびに、見えない目線を感じるようになりました。プライベートを優先することへの罪悪感が、じわじわと積み重なっていきました。
「今週末も走ろう」という友人の連絡に、気づけば返事が遅くなっていました。そのうち、誘いが来なくなりました。
ぼくはHSP的な気質を持っていて、他者の痛みや職場の緊張感を、自分のことのように引き受けてしまうところがあります。自分がいじめられていたわけではありません。でも、誰かが誰かを陥れようとしている場面を見るだけで、胃が痛くなりました。気づけば毎朝、出勤するたびに職場の空気を確認するのが、無意識の習慣になっていました。
「手放された」のではなく、「手放した」のは自分だった
当時のぼくは、ラジコンから離れるのを「忙しいから仕方ない」と思っていました。職場の文化のせいだと思っていました。
でも正直に言うと、違います。ぼくは意識的に、プライベートを楽しまないようにしていたんです。「楽しんでいる自分」が職場の雰囲気に合わない気がして、楽しむことを自分からやめました。職場に適応するために、好きなことを自分から消していった。それに気づいたのは、ずいぶんあとになってからです。
「自由にしていてください」が、一番苦手だった
いまでも残っている気質があります。研修や勉強会の休憩時間、「自由にお過ごしください」という時間が、ぼくはずっと苦手でした。
スマホを見るでも、誰かと話すでも、ぼーっとするでもなく、ただそわそわしてしまう。「この場でどう振る舞えばいいのか」を無意識に考え続けて、気づくと休憩しているはずなのに疲れている。
なぜ「自由にしていい」場面に限って落ち着けないのか。考えてみると、答えはシンプルでした。「正解のない場面」が苦手なんです。課題や役割があれば動ける。でも何をしてもいい状況では、「どう見られるか」「扱いにくい人だと思われないか」が先に来てしまう。
少し落ち着いて考えると、わかってきたことがあります。自由な時間にぼくが本当に求めていたのは、静かにひとりで休むことでした。予測可能で、余計な気遣いが要らない時間。エネルギーを使いすぎた後に必要なのは、刺激でも交流でもなく、ただ静かな場所だったんです。
💡 「感じの良い、省エネモード」でいい
それに気づいてから、自由な時間の過ごし方を変えました。挨拶だけは丁寧にして、あとは自分の作業や読み物に没入する。無理に輪に入ろうとしない。でも壁を作るわけでもない。ただ静かに自分のペースでいる。それだけで、あのそわそわがずいぶん楽になりました。
相手がどう思うかは、最終的には相手が決めることです。ぼくがどれだけ振る舞いを調整しても、それは相手の領域で、自分にはどうにもできない。自分にできるのは、自分の本当のニーズに正直でいることだけです。「休みたい」なら、静かに休む。それに罪悪感を感じる必要はないのだと、いまは思っています。
「能力を活かす」から「時間を大切にする」へ
いま、ぼくは40代です。本業と副業を並行しながら走り続けて、週末になると決まって疲労感と腰痛がやってきます。
ある夕方、リビングで子どもたちを眺めながら、ぼんやり考えました。高校生、中学生、小学生。男の子ばかりで賑やかなこの家も、家族全員で同じ時間を過ごせる期間は、もうそんなに長くないかもしれない、と。
これまでは、副業でスキルを活かすことにやりがいを感じてきました。でも最近、重心が移りつつあります。「自分のできることを最大限に使う」よりも、「家族と過ごせる時間を最優先にする」という方向に。それは後退ではなく、フェーズが変わったのだと思っています。
毎週末の疲労感と腰の痛みは、体からの信号です。「このペースは続かない」というサインを、頭では分かっていながら、ずっと見ないふりをしていました。リハビリの現場では「うまくいかないならプランを変える」といつも考えるのに、自分の生活には適用できていなかったんです。
📋 ぼくが決めた、小さなシフトチェンジ
・月に一回は、土日を完全に休みにする
・副業も予定も「やっておいた方がいいこと」も、いったん全部置く
・「理にかなう」スケジュールより、「心と体が心地よい」ことを優先する
・その余白を、意図的に作る
忙しく動き回る親の姿も、何かを伝えるとは思います。でも、休日に家でゆっくりしている親の姿も、子どもにとっての「安心」になる気がしています。疲れ果てた顔でいるより、笑ってコーヒーを飲んでいる方が、家の空気は穏やかになる。
📖 もう一度、コントローラーを握った
少し時間が経って、職場の状況も変わり、ぼくは少しずつ自分を取り戻していきました。あるとき、押し入れのラジコンを引っ張り出しました。バッテリーは死んでいて、タイヤはひび割れていた。でも、形は残っていました。部品を注文して、少しずつ直しました。友人に連絡したら、すぐ返事が来ました。「久しぶりに走ろう」と。好きなことを手放した時間は戻りません。でも、好きなことは消えていませんでした。それだけは確かです。
🌿 この記事のまとめ
・職場に適応するために、人は「好き」を自分から消すことがある
・「自由にしていい場面」が苦手な人が本当に求めているのは、静かな休息
・自分のニーズに正直でいることに、罪悪感は要らない
・40代は「理にかなう」より「心地よい」を選び直すフェーズにしていい
【免責事項】本記事は筆者の個人的な体験に基づく記録です。特定の診断・治療・法的助言を行うものではありません。心身の不調が続く場合は医療機関、職場の問題は労働相談窓口など専門機関にご相談ください。
📍 あなたの次のステップ
🌱 さいごに
身体や心が出す小さなサインは、未来のあなたを守るための合図です。
「気のせい」と片付けて先送りにしてしまう前に——少しだけ、自分の側に意識を向けてあげてください。
心地よい方を選ぶというのも、立派なケアのひとつだと、ぼくは思っています。
この記事が、あなたが自分を整える時間を、ほんの少しだけ取り戻すきっかけになれたら嬉しいです🐢

