こんにちは、ナギです🐢
作業療法士として18年、いまは訪問のリハビリと、自費リハビリの副業をしながら、医療職の働き方について書いています。
「疲れているのは、わかっている、、、」
「でも、休む時間を作るのが一番むずかしい、、、」
「動けるうちは、つい動いてしまう、、、」
📌 この記事は、こんな方へ
・患者さんには言えるのに、自分の身体は後回しにしてしまう方
・「動けるから動く」を、ずっと続けてきた方
・倒れる前に、自分の備えを見直しておきたい方
📋 この記事でわかること
・なぜ医療職ほど「自分の身体」を後回しにしてしまうのか
・フリーランスで動けなくなったとき、何が足りなかったか
・「休めない」の正体と、倒れる前に整えておきたい3つのこと
朝、起き上がれませんでした。
ベッドから立とうとした瞬間、腰に電流が走るような痛みが広がって、ぼくはそのまま床に崩れ落ちました。「これはまずい」と思ったとき、すでに自力では動けなくなっていました。
整体師として独立して、1年半ほど経った頃のことです。
でも、いま振り返ると——倒れたのはこの日が始まりではありませんでした。ぼくが自分の身体を後回しにする癖は、医療職になる前から、ずっと続いていたのだと思います。
「入社前」から、もう始まっていた
作業療法士になる、その前の話です。
内定をもらってまだ1ヶ月ほどの頃。入職予定の職場の先輩から、こんな依頼が届きました。「リハビリで使うサンディングという道具を、入社前に作ってきてほしい」と。材料費が出るわけでもありません。「やる気があると思われるからいいよ」という言葉とともに。
断れませんでした。断るという選択肢が、そのとき頭に浮かばなかったんです。
木工が得意ではないぼくは、元建築関係だった父に頼みました。父は何も言わずに引き受けてくれました。でも電話を切ったあと、何とも言えない虚しさが残りました。父まで使われている、という感覚でした。
入社まで1ヶ月以上あったのに、2週間ほどで催促が来ました。「まだできていないの?」。その一言に、焦りと一緒に、何かが引っかかりました。でも、その感覚の名前を、当時のぼくは持っていませんでした。
相手が使いたいものを、やる気や自己成長にすり替えて他人にやらせる——いまなら、そう言葉にできます。当時はただ、何かが違うという感覚だけがありました。
帰宅して、夜12時まで眠ってしまう日々
入職してからの新人時代は、もっと過酷でした。
ぼくはHSP傾向があって、刺激で疲弊しやすいほうです。職場では常に質問を求められ、気を抜ける瞬間がありませんでした。帰宅すると、そのまま夜12時まで眠ってしまう。それから朝3時までレポートをこなして、また睡眠不足で職場に向かう。それが何ヶ月も続きました。
同期が平気でこなしていることが、自分には妙に重い。先輩に「もう少し強くならないと」と言われて、素直に「そうですね」と答えました。正直、その言葉は少し刺さりました。でも「自分の能力が足りないから辛いんだ」と、思い込もうとしていました。
あの頃の疲れは、能力のなさから来るものではなかった。いまはそう思います。入職する前から、すでに「自分はここで消耗していい」という土台ができていたのだと思います。
「ようやく自分の場所を作れた」と思った、その先で
病院やリハビリ施設で18年。仕事は嫌いではありませんでした。でも、組織の中で動く息苦しさはずっとありました。患者さんとじっくり向き合いたいのに、記録や会議で時間が削られていく。そのもどかしさが積み重なって、「独立」という言葉が頭に棲みつくようになりました。
数年かけて準備して、整体をメインに、OTはパートに切り替えました。自分のペースで、一対一で、「ありがとう」が直接返ってくる。独立した直後、ぼくは本当に満たされていました。
ヘルニアの兆候は、振り返ればずっと前からありました。重い施術台の移動、長時間の前傾姿勢、無理な体勢での介助。「整体師なんだから体のことはわかっている」という過信が、サインを見逃させていたのだと思います。
倒れる前日も、腰に鈍い痛みはありました。でも、予約をキャンセルするという選択肢が頭にありませんでした。フリーランスにとって、予約を断ることは、収入を断ることだったからです。無理をして施術を続けて、翌朝、起き上がれなくなっていました。
「あと何ヶ月もつか」を計算しながら、横になっていた
診断は、腰椎椎間板ヘルニア。安静と言われて、2ヶ月近く仕事ができませんでした。
横になりながら、ぼくは何度も計算していました。貯金はあとどれくらいか。固定費はいくらか。家族の生活費は。最低でも何ヶ月もつか。数字が出るたびに、焦りが深くなっていきました。
⚠️ 会社員にあって、フリーランスにないもの
会社員には、傷病手当金があります。4日以上仕事を休んだ場合、給与のおよそ3分の2を、最長1年半受け取れる制度です。
でも、フリーランスには傷病手当金がありません。働けなければ、収入はゼロです。
ぼくがそれを知ったのは、倒れてからでした。順番が、逆だったんです。
結果的には、なんとか乗り越えられました。OTのパート収入が細々と続いていたこと。妻のキコが仕事を持っていたこと。貯金がギリギリ底をつかなかったこと。いくつかの偶然が、重なっただけでした。
もし貯金がもう少し少なかったら。もしパートもやめていたら。もしヘルニアがあと1ヶ月長引いていたら。そう考えると、いまでも背筋が冷たくなります。
休んでいるのに、休めていなかった
身体が戻ってからも、ぼくには別のクセが残っていました。「休めない」というクセです。
仕事から帰ると深夜11時。それでもまだ副業のことを考えていました。「あの記事、もう少し手を入れたい」。頭の中が、仕事から離れない。
唯一の休日でも、昼まで寝ているわけではありません。朝5時に自然と目が覚める。その静かな時間だけが、ぼくには大切でした。次の日のことを考えなくていい時間。今この瞬間だけで動ける感覚が、あの朝にだけありました。
でも、妻が起きてきて「今日どこか行こう」と言うと、ぼくの中で何かが変わりました。どこへ行くか、何時に出るか、帰りは何時か。先の予定を考えはじめるだけで、疲労感が増していくんです。
妻が一緒に出かけたいと思うのは、ごく普通のことです。それに応えられない自分がおかしいんだと、ずっと思っていました。「何のために生きているんだろう」と思ったのは、そういう日曜日の夜でした。
いまになって思うのは、あのときの疲れは「休めていない」のではなかった、ということです。「どう動いても正解がない」という状態だったんじゃないか、と。休もうとしたら罪悪感が来る。妻のペースに合わせようとしたら疲弊する。でも、それを伝える言葉も、自覚もありませんでした。
倒れる前提で、整えておきたかった3つのこと
独立を諦めたわけではありません。いまも整体の仕事は続けています。でも、あのとき足りなかったものは、はっきりわかっています。
💡 ① 生活費6ヶ月分の「自己保険」
傷病手当金のない働き方なら、動けない期間を「自分の貯金」で埋めるしかありません。まずは固定費の半年分。これがあるだけで、痛みの中で電卓を叩く夜が減ります。
数字の保険があると、判断が変わります。「今日は休もう」が、言えるようになる。
💡 ② 「動けなくなる日が来る」という前提
身体を使う仕事ほど、いつか必ず無理が来ます。所得補償保険を調べておく。予約を断る基準を、痛む前に決めておく。「自分は大丈夫」をやめるところから始まります。
「整体師なんだから体はわかっている」。あの過信が、ぼくのサインを見えなくしていました。
💡 ③ 帰宅後すぐ動かない、という小さな習慣
いまは、帰ってすぐ家事を始めることをやめました。玄関を入ったら、まず横になる。それだけでも、少し変わりました。「あ、また休めてないな」と気づけるだけで、ずいぶん楽になります。
📖 妻・キコの視点
あるとき、ぼくが「なんか最近ずっとしんどそう」と言われたことがあります。責める言い方ではなく、ただ静かに事実を言っただけでした。でも、その一言で何かがゆっくり崩れた。自分では気づけない消耗を、いちばん近くの人が先に見つけてくれることがあります。
🌿 この記事のまとめ
・自分の身体を後回しにする癖は、入職する前から始まっていることがある
・フリーランスには傷病手当金がない。動けない期間は自己保険で埋めるしかない
・「休めない」の正体は、どう動いても正解がないという感覚
・倒れる前提で、半年分の貯金・所得補償・帰宅後の小さな習慣を整えておく
【免責事項】本記事は筆者の個人的な体験に基づく記録です。特定の診断・治療・法的助言を行うものではありません。心身の不調が続く場合は医療機関、職場の問題は労働相談窓口など専門機関にご相談ください。
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📍 あなたの次のステップ
🌱 さいごに
身体や心が出す小さなサインは、未来のあなたを守るための合図です。
「気のせい」と片付けて先送りにしてしまう前に——少しだけ、自分の側に意識を向けてあげてください。
無理を重ねないという選択も、立派なケアのひとつだと、ぼくは思っています。
この記事が、あなたが自分を整える時間を、ほんの少しだけ取り戻すきっかけになれたら嬉しいです🐢

