父親に電話したのは、夜の10時を過ぎた頃でした。
「木工道具、作ってもらえないかな……」
内定をもらってまだ1ヶ月ほどしか経っていない時期のことです。入職予定の職場の先輩から、こんな依頼が届いていました。「リハビリで使うサンディングという道具を、入社前に作ってきてほしい」と。材料費が出るわけでもありませんでした。「やる気があると思われるからいいよ」という言葉とともに。
断れませんでした。断るという選択肢が、そのとき頭に浮かばなかったんです。
木工が得意ではない私は、元建築関係だった父親に頼みました。父親は特に何も言わずに引き受けてくれましたが、電話を切った後、何とも言えない虚しさが残りました。父親まで使われている、という感覚でした。でも当時の私は「これで先輩によく思ってもらえるならいい」と、その感覚に蓋をしました。
入社まで1ヶ月以上あったにもかかわらず、2週間ほどで催促の電話がかかってきました。「まだできていないの?」という一言に、焦りと同時に、何かが引っかかる感覚がありました。でもその感覚の名前を、当時の私は持っていませんでした。
結局、自分の入社より先に、その道具を先輩のもとへ届けることになりました。
入社してから、その道具は当たり前のように使われていました。誰かにお礼を言われることも、私が用意したと気づかれることも、おそらくありませんでした。「相手が使いたいものを、やる気や自己成長にすり替えて他人にやらせる」——今なら、そう言葉にできます。当時はただ、何かが違うという感覚だけがありました。
帰宅すると夜12時まで眠ってしまう日々
入職してからの新人時代は、もっと過酷でした。
私はHSP傾向があって、刺激で疲弊しやすいほうです。職場では常に質問を求められ、気を抜ける瞬間がありませんでした。帰宅すると、そのまま夜12時まで眠ってしまう。それから朝3時まで毎日レポートをこなして、また睡眠不足で職場に向かう。それが何ヶ月も続きました。
同期が平気でこなしていることが、自分には妙に重い。先輩に「もう少し強くならないと」と言われたとき、素直に「そうですね」と答えました。正直、その言葉は少し刺さりましたが、「自分の能力が足りないから辛いんだ」と思い込もうとしていました。
やりたいという前向きな気持ちは、気がつけばほとんど残っていませんでした。ただ「なんとかこれぐらいやっておけばいい」と、毎日をやり過ごすだけの日々。それでも私は「これが社会人の普通なんだ」と信じていました。
今なら言えること
あの頃の疲れは、能力のなさから来るものではなかったと、今は思います。材料費も払われない入社前の依頼を断れなかったこと、父親を巻き込んでしまったこと、誰にも気づかれない道具を届けたこと——そうした積み重ねが、入職前からすでに「自分はここで消耗していいんだ」という土台を作っていたように感じます。
当時の自分に伝えるとしたら、「おかしいと思った感覚は、正しかった」と、それだけ言いたいです。
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【免責事項】本記事は筆者の個人的な体験に基づく記録です。特定の診断・治療・法的助言を行うものではありません。心身の不調が続く場合は医療機関、職場の問題は労働相談窓口など専門機関にご相談ください。

