研修や勉強会の休憩時間、「自由にお過ごしください」という時間が、私はずっと苦手でした。
スマホを見るでも、誰かと話すでも、ぼーっとするでもなく、ただそわそわしてしまう。「この場でどう振る舞えばいいのか」を無意識に考え続けて、気づくと休憩しているはずなのに疲れている。そういう経験を何度もしてきました。
なぜ「自由」が不安になるのか
あるとき、自分のその感覚をちゃんと考えてみました。なぜ「自由にしていい」という場面に限って、落ち着けないのか。
答えは割とシンプルで、「正解のない場面」が苦手なのだと思いました。課題や役割があれば動けます。でも何をしてもいいという状況では、「どう見られるか」「扱いにくい人だと思われないか」という気持ちが先に来てしまう。
アドラー心理学の言い方を借りるなら、他者の課題に勝手に踏み込んで、自分で消耗しているわけです。
本当に求めていたのは、何だったか
少し落ち着いて考えると、分かってきたことがあります。自由な時間に私が本当に求めていたのは、静かにひとりで休むことでした。予測可能で、余計な気遣いが要らない時間。それだけだったのです。
マズローの欲求階層で言えば「安全の欲求」に近いもので、エネルギーを使いすぎた後に必要なのは、刺激でも交流でもなく、ただ静かな場所でした。
「感じの良い、孤高の職人」でいい
それに気づいてから、自由な時間の過ごし方を変えました。挨拶だけは丁寧にして、あとは自分の作業や読み物に没入する。「感じの良い省エネモード」と自分で名付けました。
無理に輪に入ろうとしない。でも壁を作るわけでもない。ただ、静かに自分のペースでいる。それだけで、あのそわそわがずいぶん楽になりました。
「周りからどう見られるか」は、自分にはコントロールできない
相手がどう思うかは、最終的には相手が決めることです。私がどれだけ振る舞いを調整しても、それは他者の課題の領域で、自分にはどうにもできない部分があります。
自分にできるのは、自分の本当のニーズに正直でいること。「休みたい」なら、静かに休む。それに罪悪感を感じる必要は、ないのだと思っています。
【免責事項】本記事は筆者の個人的な体験に基づく記録です。特定の診断・治療・法的助言を行うものではありません。心身の不調が続く場合は医療機関、職場の問題は労働相談窓口など専門機関にご相談ください。
※この記事の原型はnoteに掲載しています。

